田植え

 田植えが終わった。ついこの間まで静まりかえっていた田が、あっという間に緑の早苗で埋め尽くされ、何とも賑やかな、生き生きとした光景だ。
今年もまた、日曜日に小学6年生の息子が手伝ってくれた。祖父が運んでくる苗を、父親が操作する田植え機に補給するのが彼の役目だ。はた目には、五月晴れのなか、のどかな田園の一こまにしか見えないかもしれないが、当人達には張り詰めた緊張感の伴う単純だが、辛い作業だ。一瞬の気の緩みが怪我や事故を招くからだ。
 珍しい事に、友達からの遊びの誘いも断わり、不平不満を口にしないで黙々と手伝っていた彼は、「母さん、何事も経験だからね。」と言って日に焼けた顔を輝かせた。 息子の姿が一回り大きくなった様で、たのもしく見えた。
 一年の農作業の幕開けとも言える「田植え」は、わが家にとって一大行事だ。以前は水稲専業だったので、家族総出の一大イベント的作業だったが、今では事情が少し変わってきた。「田植え」と「花の定植」の時期が重なるからだ。主人が、田植え機に乗り。義父が苗を運び、私と義母は花を植える。こんな忙しい状況の中、息子の活躍がクローズアップされた今年の「田植え」だった。
 わが家では、水田の他、花卉、ほーれん草もビニールハウスで作っている。 嫁いで、15年の私は、一人の「主婦」であり「妻」であり「母」でもあるが「農業」を語るにはまだまだおそれ多い。 これからは、ハウスの仕事が本格化し忙しさに追われながらも、日常の中に紛れ込んでしまいがちな、ささやかな幸福を見逃さないよう、心がけて行こうと思う。


苫小牧民報 1995年(平成7年)6月17日(土曜日)掲載


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